立正佼成会とは
昭和13年3月5日、庭野日敬(開祖さま)、長沼妙佼(脇祖さま)によって創立された立正佼成会は、法華三部経(無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経)を所依の経典とし、その教えを家庭や職場、地域社会など日常生活の中で生かしていく団体です。
「立正」とは正しい教えをうち立てること、「佼成」とは多くの人びとが交わり励まし合って人格の成就を目指すという意味です。
自分のいる場所、地域で、仲間(サンガ)と触れ合いながら、私たち一人ひとりが心を磨き、社会の一員として役立つ人間になることを目指しています。
また、宗教界をはじめ各界の人びとと手をたずさえ、国内外でさまざまな平和活動に取り組んでいます。
令和5年の信行方針
皆共に、日々感謝で目覚め、元気で生き生きと精進して参りましょう
今年次も新型コロナウィルスの感染状況を見据えつつ、信仰生活を通して、お互い様に、夫婦として、父母として、親として、未来を担う幼少年・青年達を如何にして育て、人格の形成をはかるか、如何にして家を斉えていくか、さらに、日本の伝統を受け継いで、如何にして立派な国を打ち立てていくか、創造的に真剣に務めて参りたいと願っています
本尊
「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」(久遠の本仏)
2500年前に実在したお釈迦様と、法華経の中で説かれている久遠の本仏を一体化し、目に見える形にしたものです。久遠の本仏とは、この大宇宙のあらゆるところで一切のものを生かしている根源(真理・法)のことを言います。本尊に帰依することで「万人が救われるように」という仏さまの願いを私たち自身の願いとします。
本部大聖堂の本尊像 上部に多宝如来(多宝塔)を頂き、両脇に上行、無辺行、浄行、安立行の四大菩薩を配する。 施無畏印(畏れることのなく、力を人々に与えることを示す印)、予願印(人々のさまざまな願いをかなえる印)を結ぶ。 立像なのは悩み苦しむ人の元へすぐに行くという誓いを表す。 |
法華三部経(法華経)
三部とは、無量義経、妙法蓮華経、仏説観普賢菩薩行法経をさします。法華経には、いつでも、どこでも、誰にでもあてはまる、この世を貫く法則が示され、誰もが仏になれることを説く教えです。また終始<すべては一つ>という一乗の精神によって成り立っています。
そこには宇宙の絶対の真理・法のはたらきと、この世はどのように成り立っているか、人間とはどのような存在か、人間本来の生き方はどのようなものかが説かれています。私たちが真理・法を認識し、その教えの通りに生きていく中に本当の幸せがあるということを教えてくれています。
法華経は、その内容と精神が尊いことはもちろん、教えを実践する中にこそ、尊さが現れるのです。
お題目
立正佼成会では、朝夕のご供養や各種行事の際に、「南無妙法蓮華経」というお題目を三唱します。梵語の「ナマス」の音をあてた「南無」は帰依や帰命ということで、全身全霊を投げ出し、「お任せします」という意味です。
会長先生は、次のように話されています。
「南無妙法蓮華経を唱えるということは、仏さまの教えの素晴らしさがわかり、それに帰依します、ということの表明です。またその思いを身体で表現すると、合掌・礼拝ということになります。」
三つの基本信行
私たちの生きる世界は、喜びや楽しいことばかりではありません。むしろ、つらいことや悲しいことに満ちているさえ感じられます。その苦労をどのようにして受け止めるかで、どんな人間になるかが決まるといってもいいでしょう。
苦労をしたために、自己中心で我欲に凝り固まった人間になるのか。
それとも、苦労したことで他人の苦労のわかる温かい人間になるか。
やはり誰もが、喜びも苦悩も心の糧にして、他の人に思いやりをかけられる温かい人間になりたいと願うではないでしょうか。
そんな魅力ある人間になるために、会員は、仏教徒としての生き方を身につけます。
その基本となるのが三つの基本信行-「ご供養」「導き・手どり・法座」「ご法の習学」です。
人間教育の究極の目的は、仏さまに帰依する人間を育てることだといわれています。基本信行は、そうした人間になるための日常の精進のあり方を示しています。
1.ご供養
毎日朝と夕に、読経供養を行います。その意義は、法華経に説かれている人間としての真の生き方を身につけ、人の役に立つ行いのできる人間にならせて頂くことにあります。
それは先祖から連綿と受け継がれてきたいのちと、子孫への祈りに感謝を表すことといえます。また、私たちを生かしてくださっている本仏と対話をすることです。
朝は、今日一日教えに沿った生き方ができるようにと精進を誓い、夕べには一日をふりかえり生かされていることへの感謝を捧げます。また同時に、ご先祖さまへの供養を大事にしています。
お数珠 | 経典 | お襷 |
2.導き・手取り・法座
「導き」とは、多くの方に本当の幸せを手にしていただけるよう、仏さまとのご縁につなげることです。
「手どり」とは、会員同士で教えに触れる機会へ誘い合うことをいいます。
「法座」は、信仰の仲間が集まって悩みや苦しみ、喜びを語り合い、教えに基づくものの見方や生き方を学ぶ場です。
3.ご法の習学
教えを学び、正しく理解し、認識することをいいます。教義として学ぶだけでなく、日々の生活に教えを照らし合わせながら実践し、体験的に深めていくことを含みます。繰り返し教えを学ぶことで心境が変わり、心境が変わることで人生も変わっていきます。